いつもお読みいただきありがとうございます。
先日犬の本を読む合間に仏教の本を読みまして、はっとした事について書こうと思います。
特別熱心な仏教徒ではないのですが、歴史や宗教、昔話などが好きなのでkindleにあるものを時々読んでおり、仏教における気付きは何とでも根っこが繋がっているなと感じたお話です。
人間の中の悪魔・己の支配性に気づく
ブッダが修行の中で得た悪魔への気付き
あの有名なブッダ(ゴータマ・シッダールタ)のお話です。
ブッダいわく「覚りを開くと悪魔が現れる」。
悪魔=ヒトを道から踏み外させる煩悩のこと。この煩悩は執拗に妨害をしてきます。
覚り=学びを重ねていき気づきを得ること。
- 煩悩はヒトであれば誰でも持っているが、学びを重ねなければその存在に気づけない。気づかずに悪魔に操られることになる。
- 悪魔は自分の中にいる=人間そのものであるため、覚りを開いてからも悪魔は憑きまとってくる。
- 覚りを開いて悪魔ときちんと出会える人間になってからが本当の修行の始まりであり、生きることすべてが修行となり学びは続いていく。
これを読んで、思わず犬との暮らしと重なりました。
自分の中の支配性に気づく
私はトリマーとしての勉強はしたものの、技術的なカリキュラム止まりでした(もちろんそれもとっても大事ですが。しかしながら犬に迷惑をかけないという基礎の部分を学校で学べたのは良かったです)
楓を迎えて犬の勉強を本格的に再開して、色んな本を読んだりトレーナーさんがリンクを貼ってくれる論文を読んだりしました。特にトレーニング、しつけ、接し方の分野では昔のやり方が覆され、面白い程気付きがある中で…仏教で言う煩悩の中に支配性も含まれているよね?と。
- パックリーダーや絶対的強者のボスとして犬の上に立ちたい
- アルファシンドロームの人間
- 犬に言う事をきかせたい、主導権を握りたい
- 誰がご飯を買ってると思っているんだ
- 人間に従う犬を連れていたらかっこいい、一目置かれる etc
もし犬の勉強をせず、小学生の頃読んだしつけ本のままの知識だったら?
私は見えない悪魔(支配性)に操られ、アルファロールをしたり「シッ!シッ!」と言ってリードショックをしたりと、主導権を握るために主従関係や上下関係を叩き込もうと励んでいたでしょう。
それこそ楓が来たばかりの頃は「甘噛みには短くNO!と言って叱る」をやってみましたが、どうも違和感がある上に何の効果も無く、楓の精神的ダメージが気になったため色々調べまくって、犬を叱るよりも叱らなくて良い環境を整え、叱らなくて良い行動を自分がとる事にしました。すると面白い事に、褒める事しかなくなりました。
犬を育てるってこういう事なんだ、と気づき、生後二ヶ月を過ぎたばかりの子犬を叱ってしまった事を今でも後悔しています。日本のトレーナーが売っているDVDも買ってみましたが物凄い支配的なやり方だったのでドン引きし、勉強代だったと思っています。
カナダのパピースクールがクリッカートレーニングだった事、トロント市のルールでチョークチェーンは使用禁止な事も大きな学びに繋がりました。
主従関係や人間が主導権を渡さない!などをしなくても、犬と意思疎通が十分にできる事に気づけました。感謝してます。
悪魔はずっと着いてくるんやで
持ち前のこじらせ根性を発揮して勉強し、運良く(勉強する方向が違えば強制服従の方へ行ってしまい気づけなかった)人間の持つ支配性に気づいたものの、重要なのは生きている限り悪魔は憑きまとってくるという事です。
私も余裕がないとつい主導権を取ろうとしてしまったり、私が楽をする為に楓に我慢して貰おうと思ってしまう事があります。
私は内向型HSPなので、特にPMSの時など外でよそのヒトとのスモールトーク発生が本っ当に無理な時があり、よそのヒト大好きな楓が挨拶したがるから無理やりにでも逃げたりとか。他にも選択肢があるのに忙しさにかまけてちょっと待ってね!で押し切ったりとか。
犬に選択肢が複数あるやり方をしようとして、実は誘導しているだけで選択肢は無いのではないか?などごちゃごちゃ考えています…
いくら犬がうまいことやってくれるからと言って犬の社会性の上に胡座をかいて、自分が犬に対して支配的・威圧的にならない様に常に気に留めていたいです。
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仏教にみる問題行動への選択肢
人生の思い通りにならない事
人生で思い通りにならない問題をドゥッカというそうです。そのドゥッカに対してブッダが示したのは、
闘う
逃げる
触れてよく見る
でした。闘うと逃げるは文字通り。
触れてよく見る
…ありのままに見て深く理解し受け入れる・ドゥッカという事実をよく調べ、そこから真実の生き方を学んでいく
犬の問題行動に重ねてみる
このドゥッカへの考え方を犬育てに当てはめると、こんな感じになりました。
ドゥッカ▶︎問題行動など、ヒトの思い通りにならないこと
闘う▶︎体罰や嫌悪刺激を使い、ヒトが上に立つ事で解決しようとする
逃げる▶︎山に捨てる、保健所に連行、ネグレクト
触れてよく見る▶︎環境含めて観察し、原因を探ったり調べたりして対処を考える。そこから今後の接し方を学んでいく
犬と暮らしていると、ヒトの思い通りにならない事がちょいちょい出てくるものですが、これも仏教の教えにしっかり当てはまりますね。
古いやり方のトレーナーが行うのが闘う、最先端のトレーナーが行うのが触れてよく見るにあたるとも思います。
※というかそもそも犬の問題行動ってヒトから見ての問題なだけで、しかもヒトが原因のケースが大半なんであまり使いたくない言葉でもありますが、わかりやすいのかなと思うのであえて使っています。
触れてよく見て学び続けたい
仏教の本には「学びに終わりはない、終わりがあるとすればそれはオーガニック・ラーニングではない」とありました。
書物などで理解する科学的な学び
体験して得る学び
が合わさる事で、自然と良く(好く)なっていくのだそうです。
確かに、犬といるとあれやこれや調べますし、犬を共に体験する事も沢山の学びに通じています。そして犬との事でどうすれば良いのかわからなかった事も、二つの学びが合わさっていつの間にか解決していたりもします。
そして、体験で得る学びの方は、煩悩を受け止め「触れてよく見る」で学んでいきたいですね。
触れてよく見るためには絶対に座学での基礎構築が必要です。
基礎の部分が知識として入っていない状態で「圧倒的に実践を経験する・一頭の犬のしつけをやりきろう」とすれば必ず犬に迷惑をかけます。
現場で見て学ぶ・技術を見て盗むなど識字率の低い時代のやり方をしてしまう前に、座学でじっくり学びましょう!
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